福音派は差別に加担しているのか?(2)差別に対する教会の反応:KKKの福音と黒人教会の発展

 ヘブル語夏期集中講義に追われ、久しぶりの更新となってしまいました。。。この数週間、人種問題に関する数多くの本を読み、色々な方々に話を聞いた結果、脳内で情報の渋滞がおこっています。笑 アメリカの教会の歴史の中で取り上げたいトピックは沢山あるのですが、今回は奴隷解放宣言後から20世紀初頭までの時代を取り上げます。

束の間の平等 再建の時代(1865-1877)

Reconstruction | Definition, Summary, & Facts | Britannica

 1865年に南北戦争が終わり、奴隷制度は法律的に廃止されます。400万人以上の元奴隷達は自由の身分を手にしたのです。 1865年から1877年までの約10年間リコンストラクション(再建)と呼ばれる時代は黒人にとってアメリカの歴史上最も活発な、希望に溢れる時期でした。自由になった400万人の黒人を保護するために、1865年リンカーン大統領は解放黒人局を制定し、食料・衣類の提供、離れ離れになった家族の捜索、雇用の創出などを行います。この時代、黒人の政治活動への参加も盛んになっていきます。何百年にも渡る白人至上主義の時代の後に、数年の間に突如元奴隷達が力を持ち始めたのです。[1]

 このような新しい時代の流れを白人の多くは脅威として捉えていました。特にこの時代、南部の白人の間では「失われた大義」と呼ばれる思想が流行します。それは南北戦争前の南部を、愛国心溢れるキリスト教国家だったとする思想です。その思想は、南部はただ古き良き暮らしを保持したかっただけなのに、神を信じない北部の脅威に脅かされ、仕方なく戦ったというナラティブでした。この「失われた大義」の思想は、「南北戦争の敗北は神の摂理の中で行われたもので、私たちを初めの愛と聖さに立ち返らせるためだった」という独自の神学へと発展します。[2] そしてそのような思想の中、南軍の将軍だったロバート・リーは古き良き南部の象徴として祭り上げられ、彼を含む南軍の銅像が次々と建設されていくのです。(現在アメリカで撤去が叫ばれている南軍の記念碑の多くはこの時代に建てられたものです)このような状況の中で、南部の良き伝統を、北部と黒人達から取り戻そうとする動きが出てきます。彼らは自らの運動を「贖い(redemption)」と呼び、積極的に黒人の政治参加を阻止しようと活動しました。十字架による罪からの解放を意味する贖いという言葉が白人の権力を保持するための人種差別と暴力を正当化したのは皮肉なことです。[3]

再建の終焉:ジムクロー法と教会の反応

Jim Crow laws created 'slavery by another name'

 南部と北部の政治的・社会的緊張関係は続き、「1877年の妥協(compromise of 1877)」へと繋がります。1877年、拮抗する大統領選挙の中でラザフォード・ヘイズは、南部地域の自治を認めるという条件で大統領に就任します。南部の自治を認めるということは、黒人にとって国からの保護がなくなることを意味しました。こうして希望に溢れた再建時代は終わり、南部で黒人の扱いは急激に悪化の一途をたどっていきます。ルイジアナ州をはじめとして南部では公共施設で黒人と白人を分離する法律が制定されます。そして1896年には黒人専用のタクシーに乗車することを拒否した乗客の逮捕を最高裁が合法と判断したことにより、長らく続くことになる分離の原則が定まっていきます。その後南部では次々と黒人(混血者含む)を白人と同じ公共施設に入ることを禁止するジム・クロー法と呼ばれる法律が次々と確立されていきます。ジム・クロー法に関して反対の声を上げる教会は存在していたものの、多数派ではありませんでした。むしろ多くの教会はジム・クロー法を支持しました。例えば、1905年のナッシュビルのメソジスト教会紙には、ジム・クロー法が「南部の黒人リーダーが批判するような黒人を差別する法律ではなく、単に区別しているのに過ぎず、人権を脅かすものではない」と記されています。[4]当然その分断は教会内にも及び、多くの教会では黒人は白人と同じ場所に座ることを含めた平等な権利が与えられませんでした。教会内での差別に対する応答として多くの黒人は既存の教会を脱退し、自ら黒人教会を形成していくことになります。[5]しかしそのような教会の分断に対して多くの白人牧師は分断を歓迎し、むしろその分断は神によって制定されたものとして正当化し、出て行った黒人の方に問題があると考えました。[6]

第三次信仰覚醒運動:DLムーディと人種問題

Dwight L. Moody | Christian History

 フィニーらを中心に、19世紀前半の第二次信仰覚醒運動は奴隷制度に関して明確に反対を表明しました。その後継者DLムーディにより、南北戦争後に第三次信仰覚醒運動が全米に広がっていきます。ムーディの影響力は絶大で、シカゴのムーディ聖書学院で学んだ中田重治により日本にはホーリネス運動が、北欧では福音自由や聖契の母体となる自由教会運動につながるなど、世界大に信仰覚醒運動が広がっていきます。(例:私が学んでいるトリニティ神学校も、母体はこの時代にムーディの協力の元シカゴ北部で設立されています。今ではムーディとはかなり特色が異なりますが。)それだけ絶大な影響力があった第三次信仰覚醒運動ですが、反奴隷制度などの社会変革に力を入れた第二次運動と異なり、ムーディらは社会問題とは一切距離を置くようになります。ムーディも、また彼を継承したビリー・サンデーも南部で集会を行う際にはフィニーらと異なり黒人と白人を分断して集会を行いました。そのようにして20世紀の信仰覚醒運動は社会問題を扱うことを放棄し、個人の信仰のみにフォーカスするようになっていきました。これは20世紀に入り、福音派教会がリベラル神学と対峙する中で、社会問題=リベラル、伝道=福音派という二極化した構図が生まれてしまったことが原因として挙げられます。社会変革こそ教会の使命と捉えたリベラル神学に対して、福音派教会は伝道こそ教会の使命であると捉えました。この社会と個人、社会問題と伝道という二項対立的傾向は現代に至るまで尾を引いています。(この時代に登場した「社会福音」運動とそれに応答する形でプリンストンを中心に始まった福音派の「ファンダメンタリスト運動」についてはここでは扱いきれないので省略します。)

KKKの福音:キリスト教と白人至上主義の混合宗教

さらに1900年代に入るとKKK(クー・クラックス・クラン)の活動が活発化していきます。白装束を身にまとい黒人をリンチする姿をメディアでご覧になった方も多いのではないでしょうか。メディアでの描写を見ると、いかにも一部の異常な極右団体という印象を受けます、しかし、KKKは一部の異常集団ではなく、当時は非常に一般人気のある運動でした。KKK第2期リーダーのウィリアム・シモンズはメソジストの説教者でもあり、キリスト教、愛国主義、白人至上主義を織り交ぜ、ある種の信仰体系を形成していきます。1916年に記されたKKK規約の中でシモンズは「善良な白人キリスト者のみがアメリカを破滅から救う」と記しています。[7]ケリー・ベイカー氏は著書 The Gospel Accordning to the Klan(KKKの福音)の中で「彼らの運動はただアメリカを守るための運動ではなく、プロテスタント信仰を守り讃える宗教的な運動でした。」と述べています。[8] 「失われた大義」の思想に共感し、古き良きキリスト教国アメリカを守りたいという想いを持った大勢の人々がKKKに惹かれていきました。特に1915年に公開され全米初の大ヒット映画となったKKKの誕生を描く「国家の誕生」はKKKの人気に大きく貢献し、アメリカ北部でも会員が爆発的に増えていきます。ピーク時の1924年にはメンバーは500万人を超え、なんと人口の5%以上がKKK会員だったということになります。さらに驚くべきことは、その中には約4万人以上の牧師が含まれていたということです。彼らは講壇からKKK運動に加入するよう呼びかける説教をしていたというのです。[9]当時のKKKは決して一部の過激派ではなく、一般大衆、さらには多くのクリスチャンの支持者を集めていたのです。

 そして1900年代は相次ぐ黒人へのリンチや私刑が横行し、黒人にとってジムクロー法によって人権を奪われるだけでなく、命までも脅かされるようになります。多くの教会は暴力やリンチに対しては反対しつつも、ジムクロー法がもたらした差別には声をあげようとしませんでした。そのような暴力と恐怖、そして差別に応答する形でジェームズ・コーン氏らを中心に黒人教会独特の神学(黒人神学)が登場していきます。[10]黒人神学についてはいずれ別途ご紹介しようと思います。

黒人教会文化の発展:ゴスペルとペンテコステ運動

Azusa Street Revival. Read Amazing Facts Now

 このような時代の中、1900年代初頭に黒人教会から始まり世界的なムーブメントとして広がっていく二つの動きがあります。ブラックゴスペルとペンテコステ運動です。日本語でも「ゴスペル」と言う言葉が市民権を得ているほど音楽ジャンルとして知られるようになりましたが、音楽ジャンルとして認知されるようになったのは1930年頃だと言われています。それまでは黒人霊歌として奴隷時代から歌い継がれてきた歌が、ブルースなどの黒人音楽と融合し、シカゴを中心にトーマス・ドーセイやマヘリア・ジャックソン等の活躍により全米に広がっていきます。[11]シカゴは現代ゴスペル産みの地として、現在もEbenezer Churchなどゆかりの教会の礼拝に参加することができます。[12]

 また、この時代に世界中のキリスト教会に大きな影響を与える出来事が起きます。世界中にペンテコステ運動が広がっていくきっかけとなるアズサ・ストリートリバイバルです。黒人のウィリアム・シーモア牧師は、ペンテコステ運動の最初の指導者と言われるチャールズ・バーハム氏が1900年に設立したベテル聖書学校で学びました。[13](と言っても黒人は教室への入室を許されなかったため、窓の外から聴講していたようですが)そして彼は1906年、ロサンゼルスのアズサ・ストリートにあった廃墟となった教会で集会を始めます。そして集会の参加者達は聖霊のバプテスマを受け、異言で語り始めるという現象が起きます。ほどなくしてアズサ・ストリートに多種多様の人々が集うようになります。黒人、白人、中国人、ユダヤ人さえもシーモア牧師の説教を聞きにやってきました。当初局所的に黒人教会のリバイバルとして始まった運動が、人種に関係なく瞬く間に全国に広がっていったのです。[14]ペンテコステ運動はアズサ・ストリートから全米へ、そして世界中に広がっていきます。この時代、世界最大のペンテコステ教団であるアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団やフォースクエア福音教団などが次々と発足します。しかし残念ながら、ペンテコステ運動も、徐々に人種により白人ペンテコステ教会と黒人ペンテコステ教会の分断の道へと進んでいきます。そして1948年に北米ペンテコステ親交会(Pentecostal Fellowship of North America)が発足した際には黒人教団は1つも招待されませんでした。黒人教会から人種を超えたムーブメントとして始まった運動が、人種によって分断されてしまった歴史は皮肉でもあります。[15]1994年の「メンフィスの奇跡」において人種を超えたPentecostal Charismatic Churches of North Americaに統合されるまでこの分断は続きます。[16](ペンテコステ教団の歴史等詳しい方がいれば詳しくご教授願いたいです。)

まとめ

 今回も色々と割愛したものの、結果盛りだくさんな内容となってしまいました。。。KKKのような団体が大衆に、そしてクリスチャンに支持されていたというのは今では考えられないことです。このような歴史を振り返るとき、私たちは過去を否定し現代を美化しがちです。しかし、KKKのような団体や思想が多くのクリスチャンの心を捉えたということの意味を、現代を生きる私たちも真剣に問わなければならないのではないでしょうか。多くのクリスチャンは積極的に暴力に加担はしなかったとしても、差別に対して声を上げることはしませんでした。Color of Compromiseの著者のジェスマー氏が「福音派の妥協(Evangelical Compromise)」[17]と呼ぶこの状況を起こしたものは何だったのか。現代のアメリカ、または日本の福音派にとって同じような「妥協」の原理は働いていないだろうか。例えばKKKがアメリカの多くのクリスチャンに受け入れられた構造と、ドイツの教会にナチズムが入っていった構造と類似点があるように思うのです。戦争の敗北というトラウマ(南北戦争/世界大戦)、古き良き時代を取り戻したいという理想像、そして分かりやすい悪役(黒人/ユダヤ人)。このような時代の思想に合致したナラティブとして聖書の福音が捻じ曲げられ利用されてしまったのではないでしょうか。今の時代を支配している思想は何か、それは果たして本当に聖書が語っていることに合致しているのか、信仰の目で見極めることが必要です。過去の歴史を振り返ることは、私たち自身の歩みを自己吟味することにも繋がります。聖書を重んじる立場だからこそ、宗教改革の原理にのっとり、聖書に照らし合わせて教会を改革し続けていく使命を帯びているのではないでしょうか。

 今回扱いきれなかった社会福音、黒人神学、ペンテコステ運動などに関しては別途取り上げたいと思っています。20世紀は教会が社会活動と伝道の両極端に分かれていった時代でもあり、フィニーらが率いた第二次信仰覚醒に代わり、19世紀後半〜20世紀初頭の福音派の教会はますます個人の救いにフォーカスするようになってしまいます。そして不当な扱いを受け、白人教会から脱退した黒人教会は黒人神学やブラックゴスペルなど独自の教会文化を築いていくようになります。人種による分断の時代、黒人教会から世界に広がったペンテコステ運動さえも人種という壁を越えることができませんでした。福音派の教会が人種問題を含めた社会問題に向き合うようになるのは第二次世界大戦以降です。

次回はいよいよキング牧師とビリー・グラハムという20世紀のアメリカの教会に最も影響を与えた二人のリーダーが登場します。


[1] Michael Emerson and Christian Smith, Divided by faith 38.

[2] Charles Ragan Wilson, Baptized in Blood: The Religion of the Lost Cause, 4-6.

[3] Jesmar Tisby, Color of Compromise, 117.

[4] Michael Emerson and Christian Smith, Divided by faith 40.

[5] C. Eric Lincoln, The black church in the African American experience, 27.

[6]Michael Emerson and Christian Smith, Divided by faith 39.

[7] https://www.washingtonpost.com/news/retropolis/wp/2018/04/08/the-preacher-who-used-christianity-to-revive-the-ku-klux-klan/

[8] Kelley J Baker, Gospel according to Kulax Klan, 6.

[9] Waxman Olivia, “How the KKK Influence Spread in Northern States”

https://time.com/4990253/kkk-white-nationalists-history/

[10] James Cone, Black Theology of Liberationなど

[11] https://www.gospelchops.com/the-history-of-gospel-music/

[12] https://ebenezerbronzeville.org

[13] 現在のBethel Seminaryやペンテコステ派のBethel School of Supernaturalとは異なる学校です。このベテル聖書学校は数年で閉校となっています。

[14] Vinson Synan, The Holiness-Pentecostal Tradition, 1063 kindle

[15] Jesmar Tisby, Color of Compromise, 140.

[16] https://pccna.org/about_history.aspx

[17] Jesmar Tisby, Color of Compromise

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