パウロ神学の最新の動向が一発で分かる!ジョン・バークレー「NPPとその後:パウロ研究はどこに向かっているのか」講演(前半)

ダラム大学新約教授(Lightfoot Professor of New Testament)で、パウロ神学における第一人者であるジョン・バークレー教授がローマのイエズス会所属のPontifical Biblical Instituteに招かれた際の講演(下記リンクを参照)の邦訳です。近年のパウロ神学の動向を45分で網羅しています。講演の前半はNPPに関してです。(見出し・小見出し等は訳者による)

この2回の講義で私が皆さんにお伝えしたいことは、次のようなことです。まず今日は、ガラテヤ人への手紙とローマ人への手紙におけるパウロの神学に関連して、パウロに関する学問の現状を私がどのように見ているかを明らかにし、そして明日は、「恵み(grace)」という見出しの下で、これらの手紙の信仰論を私なりに読み解いてみたいと思います。「恵み」は私がここ数年取り組んできたテーマであり、もちろん伝統的にプロテスタントとカトリックを二分してきたテーマでもあります。英国国教会の(ある意味)プロテスタントである私が、教皇庁立聖書研究所に招かれたという事実は、私たちがよりエキュメニカルな時代に生きていることの証しです。しかしそれは同時に、私たちが互いをよりよく理解し、伝統的にキリスト教会を分断してきた事柄にさえ同意するチャンスがあるということでもあります。宗教改革500周年の今年は、反省し、より希望に満ちた方向へと前進する良い機会です。今日のタイトルが示すように、ガラテヤ書とローマ書の中核的テーマに関して、パウロ研究の現在地について説明と分析を行いたいと思います。まず、「パウロ神学の新しい視点(NPP)」についての考察から始め、過去40年間に「新しい視点」への応答として広がってきた4つの道を示します。

I. パウロ研究の新しい視点(NPP)

そこでまず、パウロ研究に関する新しい視点(通称NPP)についてです。NPPは、EPサンダースの画期的な著作『パウロとパレスチナのユダヤ教』におけるユダヤ教に関する新しい視点から始まりました。この著作は、ユダヤ教を、救いを得るためには律法(トーラー)を守ることによって功徳を積む必要がある、「行いによる救い」の宗教として描いてきた、主にプロテスタントの学問の長い伝統を覆そうとするものでした。サンダースは、ユダヤ教を、イスラエルの選出という神の恵みによって入信し、律法への服従によって入信し続けるという契約遵法主義(covenantal nomism)の宗教として、異なる描写を提示したのです。彼は特に、神学的な利害関係によって引き起こされたユダヤ教に対する固定観念や誤った表現に対抗するために、この説を提唱しました。ユダヤ教に関するこの新しい描写は、多くの文献に記載され、多くの人にとって納得できるものであったため、特に英語圏では熱心に取り上げられました。そして、ジェームズ・ダンやN.T.ライトをはじめとする多くの学者達が、クリスター・ステンダールの先行研究を基に、NPPを作り上げたのです。いかにこの新視点の3つの特徴を紹介します。

特徴1:ポスト・ホロコースト神学

第一に、NPPはホロコースト後のキリスト教徒とユダヤ人の関係を新たな土台に据えようとする、プロテスタントとカトリックの両方の強い願望に応えています。サンダーズが反応したユダヤ教の風刺画は、キリスト教的反ユダヤ主義の長い歴史の一部であり、サンダーズの批判は(完全に独創的だったわけではないものの)当時のムードを捉えていました。ステンダールにとって重要だったのは、パウロの義認の神学が、論争的(polemic)ではなく弁証的(apologetic)なものであることを強調することでした。パウロはユダヤ人やユダヤ教を攻撃しているのではなく、異邦人への使徒として福音を平等に異邦人に提供する権利を弁明していたのです。ダンやライトにとって、パウロの文章にはユダヤ教に対する批判が残っているものの、その批判は律法主義や誤った救済論に対してではなく、契約の概念にまつわる民族的・国家的制約に対してです。このように、パウロの解釈は必然的に、宗教間対話の大きな問題と、キリスト教徒とユダヤ教徒との関係という特にデリケートなトピックに巻き込まれることになります。ヨハネ福音書の解釈と同様、パウロ解釈は、ユダヤ人やユダヤ教の伝統を軽んじたり、蔑んだりするような偏見に戻らないよう、不安の高電圧を走らせる避雷針となっているのです。

特徴2: 神学的問いから歴史的問いへ

第二に、この新しい視点は、70年代後半から80年代にかけての新約聖書研究において、神学的な問いかけから、歴史、特に初期キリスト教の社会史に直接焦点を当てた問いかけへの大きな転換を意味しました。ブルトマンの時代は終わりを告げたのです。ブルトマン学派はドイツやその他の地域でしばらく繁栄を続けましたが、社会学的分析によって研ぎ澄まされた新たな歴史的問いがより重視されるようになります。依然として(テキストの背後にある世界ではなく)テキストそのものに焦点が当てられていたとしても、テキストに対する修辞学的、物語的、その他の文学的アプローチの台頭は、テキストの神学的主題への関心を減らす一方で、テキストがどのように構成され、配置されたかを注視する傾向がありました。

新約聖書を論じてきた伝統的な神学的パターン、特にプロテスタントの伝統に由来する解釈は、パウロに関する「古い視点」と見なされ、信用されなくなっていきました。そして、新約聖書の研究者たちは、ユダヤ人学者や古代世界の歴史家など、神学以外の新しい対話の相手を見つけようとしたのです。この変遷の影響は、パウロの手紙の歴史的特異性に焦点を当てることに繋がり、パウロが語ったことはすべての時代にわたって一般化、または普遍化可能であるという神学的前提に疑問を投げかけるものでした。パウロが異邦人への使徒であり、異邦人への宣教の文脈で義認と恵みについて語ったことは誰もが知っていました。しかし、彼の信仰義認の神学が単に異邦人への宣教の文脈の中で明言されたのか、それとも異邦人宣教を擁護することにその主な目的と範囲があったのかでは、理解が大きく異なります。NPPはこの後者の選択肢を主張します。つまり、異邦人の救いは、「救いは行いによらず信仰によるものである」という、一般化可能な「救いの原則」の単なる事例ではない、ということです。異邦人たちは、パウロがすべての時代にわたって人間の状態について正しいと考えたことを単に例証しているのではないのです。むしろ、新しい視点から見れば、パウロは、異邦人がキリストに属するためにユダヤ人の習慣を身につける必要はないと主張する、限定的で具体的な任務を持っていたことを認識すべきだとします。パウロが語っているのは、一般的な「行い」や恵みのみ(sola gratia)というような抽象的な原則のことではないのです。しかし、ここでいう「律法の行い」、また律法とは、一般的な律法ではなく、ユダヤ教の律法、トーラーを意味しています。サンダースとダンが論じたように、その該当する「行い」とは、ユダヤ人と非ユダヤ人の境界を定めるもの(割礼の食物法や安息日の遵守など)でした。つまりNPPは、パウロは1世紀の特定の問題を取り上げていたと主張します。それは確かにキリスト教の将来にとって重要な出来事ではありつつも、アウグスティヌスや宗教改革者たち、あるいはブルトマンが進めた実存主義神学が取り上げた課題とは異なるものだとします。

これは、神学の束縛から新約聖書の釈義が解き放たれた瞬間のように感じられました。私たちはついに、パウロの文脈の中で、私たちの関心事を読み込むのではなく、彼自身の関心事との関連において、パウロを正しく歴史的に理解することができるようになったのです。これは、第二神殿のユダヤ教と史的イエス研究の新しい流れとも一致しました。そして神学に関心のない歴史批評家と同時に、神学を行う最善の方法は厳密な歴史研究から始めることだと考えるダンやライトのような福音派の学者の双方を興奮させたのです。

特徴3:初期キリスト教への社会的・政治的関心

第三に、「新しい視点」は、初期キリスト教の社会的・政治的関心に注目し、キリスト教の伝統、特にプロテスタントの伝統が救済を個人の内的生活に限定してきたことに深く懐疑的でした。ステンダールは、歴史上のパウロと西洋の内省的良心と呼ばれるもの(彼は特にそれをルターの影響として認識していたが、その背景にはアウグスティヌスがいる)を非常に鋭く区別したことは有名です。パウロは罪と罪の問題を扱っていたのではなく、異邦人がイスラエルとの神の約束の完全かつ真の継承者となる権利を弁護していたのだ、とステンダールは主張するのです。NPPの中には、パウロが罪の問題を扱っていることを認めている者もいます。しかし彼らはこれを、個人が神の裁きを受けるという個人的な問題ではなく、人類の罪、あるいは異邦人一般の罪という集団的な現象として強調します。

このように、NPPの視点からすると、パウロが扱った問題は、個々の罪人である「私」が偉大な恵み深い神をどのように見出すことができるかではなく、ユダヤ人と異邦人がキリストにおいて神との契約関係にある一つの民を形成するために神が世の罪をどのように処理されたかでした。この「一つの民」という強調は、パウロの中心的関心事を教会に戻しました。そしてこの関心は、初期キリスト教の研究において社会学や人類学が用いられていたことと非常によく一致しています。実際、これはデカルト以来の哲学において顕著であり、20世紀半ばの実存主義において頂点に達した「個人主義的方法論」から離れ、生物学、心理学、社会学、人類学などによる分析を通じて社会的背景や社会的関係の視点から人間の状態を理解しようとする、西洋思想史におけるより広範な変遷の一部と見ることもできるでしょう。また、ユダヤ教とキリスト教の関係に関して述べたようなこと以外にも、NPPには強い政治的関心があ李ました。もしパウロが民族の垣根を越えて、ユダヤ人と異邦人を共同体の中で対等な条件で結びつけようとしていたとすれば、それはインクルージョンや平等や人権などの現代の関心に非常によく合致していたのです。ジェームズ・ダンなどは、アパルトヘイトや民族紛争など、世界における現代的な問題との類似性を明確に示しています。彼は、パウロの神学の社会的な影響はある程度一般化できると考えていましたが、その一般化は個人の罪責に言及する通常の方法ではなかったのです。

新視点が持つこれら3つの特徴、すなわち、(1)ユダヤ教についてより好意的に語ること、(2)歴史的な具体的を持つこと、(3)パウロの社会的・教会的関心を引き出すこと、の3点は、パウロがローマ人への手紙10章3節で「というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。」と述べている箇所の解釈を例として説明することができます。この聖句は、ユダヤ人個々人が律法に定められた善行を行うことによって、自分たちの義を確立しようとしたことを示す箇所として読めるため、旧来のパウロ理解の基盤の一つとなっていました。しかしこのようなユダヤ人の行いによる義は、パウロの考えでは神への不従順の一形態であり、神の義は純粋に賜物として与えられるのであって、善を行うことの報酬として与えられるのでは無い、とうのが旧来のしてんです。しかし、新しい視点からの読み方では、この節は、イスラエルが自分たちを、神から特に好意を持たれている国として集団的に特権化していることを表していると見なされます。彼ら自身の義は、ここでは他の国々(異邦人)とは対照的な意味で捉えられています。したがって、問題になっているのは、独善という態度的な罪ではなく、ライトが「民族的正義」と呼んだもの、あるいは民族主義(ethnocentricism)と呼ぶべきものなのです。このように考えると、問題は個人的な意味での救済論ではなく、宣教論と教会論、少なくとも民族の救済と、すべての民族を平等に神の民として呼び寄せるという神の目的に関するものになります。制限や限定に対する開放性、排除に対するインクルージョンと平等がNPPの合言葉となりました。NPPの中のある人々にとっては、これらの言葉は神学的な根源と意味合いを持っていました。しかし他の人々にとっては、パウロ神学の社会的側面に焦点を当てることで、パウロの思想の特に神学的、キリスト神学的側面が脇に追いやられることになってしまいました。

後半に続く

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