大統領選挙後の世界-異なるストーリーをいかに語るか-

 混沌を極めた米大統領選挙が終わり、2021年1月20日よりバイデン大統領の新政権が発足しました。2020年11月3日の投票日から2021年1月6日の選挙人投票に至るまで、不正疑惑や国会議事堂の占拠事件など混沌を極めた米大統領選挙にようやく終止符が打たれました。バイデン氏は7日の勝利宣言の演説において「私は、分断でなく、結束を目指す大統領になることを誓います。赤い州、青い州、などというものは存在しません。あるのは一つの合衆国だけです。」[1] と和解と一致を呼びかけましたが、アメリカの分断は根深く、一致は前途多難です。

分断の構造:出口調査の結果

More Divided Than Ever | Hidden Brain : NPR

 Edison Research社による出口調査の結果を見ると、分断の構造が鮮明に浮かび上がってきます。[2] 今回の選挙の焦点となった人種差別問題、経済問題、コロナ対策、人工中絶の4つの項目を見ても投票者が何をアメリカの課題として捉えているのかが大きく分かれていることが分かります。

人種差別はアメリカにとって重要な課題か

・最も重要な課題である(バイデン87%、トランプ11%)
・重要な課題の一つ(バイデン61%。トランプ37%)
・小さな問題に過ぎない(トランプ81%、バイデン18%)
・全く問題ではない(トランプ91%、バイデン8%)

アメリカの今の経済状況に関しての感想

・素晴らしい、または良い(トランプ78%、バイデン22%)
・あまり良くない、または悪い(バイデン80%、トランプ17%)

アメリカのコロナ対策に関しての感想

・素晴らしい、または良い(トランプ81%、バイデン18%)
・あまり良くない、または悪い(バイデン87%、トランプ11%)

中絶に関して

・合法であるべき(バイデン74%、トランプ24%)
・合法であってはならない(トランプ76%、バイデン23%)

 この出口調査でクリスチャンの視点として特に興味深かったのは、トランプ大統領の最も強い支持層だった白人福音派層の中でトランプ離れが一部起きていることです。白人福音派層の民主党支持率は2016年と比較して8%上がっており(16%から24%)、トランプ氏の支持率は4%低下しています(80%から76%)。もちろん出口調査は概算ですが、白人福音派層の民主党支持率が8%上昇していることは特筆するべき点だと思います。また激戦区においてもこの現象は起こっていたようで、例えば激戦区の一つだったジョージア州では2016年には白人福音派票の92%がトランプ、5%がヒラリーだったのに対し、2020年は85%がトランプ、14%がバイデンと全国平均以上に白人福音派の票移動が起こったようです。[3] この傾向を受けて、一部の報道機関は白人福音派層の票離れをトランプ氏の敗因の一つに挙げていました。(割合的にそこまで大きな差には見えませんが、特に今回のような接戦において数%の差はあなどれません)

単一的な筋書きの限界?

The Five Narrative Modes Fiction Writers Use to Craft Their Stories –  International Association of Professional Writers and Editors

 選挙が終わった後、分断されたアメリカでクリスチャンはどのように生きていくのかが問われています。南部バプテスト神学校の校長を務めたラッセル・ムーア氏は、今回の選挙の結果は、一つのストーリーにアメリカの政治を集約することの限界を示したと指摘しています。トランプ支持者もバイデン支持者も、それぞれアメリカが直面する課題に対する「筋書き」を持っていました。[4]その筋書きではアメリカの課題がはっきりしており(上記の出口調査でも明らかのように)、片方の候補者を善、もう片方を悪とするわかりやすいストーリーでした。選挙直後のニュースでは、トランプ支持者とバイデン支持者双方が「相手陣営は怒りを原動力にしていたが、我々は愛を原動力にしていた」と語っていたのが非常に印象的でした。どちらの支持者も、自らの陣営は愛によって行動しているが、相手陣営は怒りによって行動しているというストーリーを持っていました。

 また、クリスチャンにとっても、双方の陣営に「クリスチャン的筋書き」が存在していました。トランプを支持するクリスチャンにとってトランプ大統領は信仰の自由を回復し、中絶や同性婚といったキリスト教倫理に相入れない政策を食い止めるクリスチャンの砦でした。他方バイデンを支持するクリスチャンにとってバイデン氏は、アメリカに蔓延る人種問題や移民問題に立ち向かい、弱い立場の人々に手を差し伸べるクリスチャンの理念を体現するような候補者でした。どちらもクリスチャン的視点で描かれたストーリーです。上記の文章を読んで、双方の支持者からお叱りを受けそうですが、事実がどうであれ、少なくともこのような筋書きに沿って選挙キャンペーンは展開されていました。そしてアメリカ国民の多くは選挙においてどちらかのストーリーがわかりやすく勝利することを期待していたのです。しかし票は見事に割れ、明確な決着がつかず、どちらの支持者も失望を覚えることになりました。「クリスチャンなのにどうして〇〇に投票する人がいたのか理解できない」という声も幾度となく耳にしました。

 全ての人は何らかの筋書き(ナラティブ)に従って行動しています。ある種のストーリーに沿って選挙が行われるのはある意味当然のことであり、それ自体が悪いわけではありません。しかしクリスチャンとしての視点から考えた時に、私たちは聖書の筋書き、つまり福音の全体像というストーリーと照らし合わせて考える必要があります。選挙期間中展開されていた二つの筋書きは、どちらも「聖書的」なものでした。しかし、投票券の無い日本人として客観的に感じたことは、どちらの筋書きも聖書の神様を完全には体現出来ていないという点です。

 Just Business: Christian Ethics for the Marketplaceの中で著者のアレキサンダー・ヒル(元Intervaristy総主事)は、キリスト教倫理は三位一体の神ご自身の性質から始まるべきであり、その性質とは「愛、義、聖さ」であると記しています。神様はこの三つの御性質を完全なバランスのうちに保っており、どれか一つでもかけてしまうと、三脚のように不安定なものになってしまいます。[5]

 今回の選挙において双方の視点から語られていた「クリスチャン的筋書き」は神様の義(人種問題、貧困問題)と聖さ(同性婚、公共の場での信仰)のそれぞれの側面に焦点が当てられていたように思います(中絶などは神様の義にも聖さにも関わってくる問題なので単純かは出来ませんが)。ティム・ケーラーが以前指摘していたように[6]、クリスチャンの倫理が一つの政党に完全に包括されることは無いでしょう。ムーア氏は記事をこのように結んでいます。「今アメリカが必要としているのは教会が(訳註:民主党か共和党かではない)異なるストーリーを語ることです。それは十字架につけられ、よみがえり、王として統治しているナザレのイエスのストーリーです。彼によって全ての物は存在し(コロサイ1:17)、全宇宙のストーリーは彼に究極的に集約されています。」[7] 各政党が掲げる筋書きよりも遥かに大きな、聖書全体の福音の物語を語る使命が教会に託されているのです。

いかに語るか:戦争から食卓のメタファーへ

 

How to Feast on Scripture and be Nourished | Blog.bible

最後に、今回の選挙で個人的に特に教えられたのは、「何を(what)」語るか以上に「いかに(how)」語るかということの重要性でした。選挙期間中連日のようにSNSが選挙の話題で持ちきりになっていました。その多くが相手を批判し、論破することを目的としていました。不思議と日本のクリスチャンコミュニティー上でも同様の舌戦が繰り広げられていました。時に議論が白熱し誹謗中傷に発展するケースや、改革派神学やディスペンセーション神学など、特定の神学的立場を全否定するような流れになることもありました。クリスチャン同士の愛の無いやりとりに躓き、教会を離れてしまった未信者もいると聞きます。

 私たちクリスチャンは、ムーア氏が指摘するように、この世が語ることが出来ない「福音」という異なるストーリーを語っていく使命を帯びています。しかし「何を」語るか以上に「いかに」語るかが問われている時代なのではないでしょうか。最近出版されたCharitable Writing: Cultivating Virtue Through Our Wordsでは、「書く」という行為はクリスチャンとしての聖化に関わることであり、霊的なエクササイズであると記されています。特に著者は「文章による議論」というジャンルに関して、多くのクリスチャンが勝ち負けを決めるという目的の元行われる「戦争のメタファー」に乗っ取って行ってしまっていることを指摘しています。クリスチャンとして議論する上で、私たちはこの戦争のメタファーを変革していく必要があります。新しい議論のメタファーとして著者は「食事の準備」を提唱します。食事の準備の目的は勝ち負けを決めることではなく、共に美味しい食事に預かることです。さまざまな具材を持ち寄り、共に調理するイメージです。それは決してお互いを批判しないという意味ではありません。料理に塩味が欠かせないように、クリスチャンの言葉にも塩気は必要でしょう(マタイ5:13)。しかし、批判する目的が「勝者を決める」ことから「共に美味しい食事を食べる」ことに変わります。食卓のイメージは「書く」という行為を、戦争という対決的なモデルではなく、聖餐的な共同作業的なモデルに置き換えます。[8]

 混沌とした分断された社会において、クリスチャンが福音のストーリーを語り続けていくために、語る内容と同時に語る方法が洗練されていくことを願います(自戒含め!)。私たちが霊的な事柄として、「書く」という行為に真剣に取り組むなら、(たとえ時に塩気が効いていたとしても)三位一体の主との食卓の交わりにより多くの人々を招くことに繋がるでしょう。


[1] https://www.tokyo-np.co.jp/article/67130

[2] https://www.nytimes.com/interactive/2020/11/03/us/elections/exit-polls-president.html

[3] https://news.gallup.com/opinion/polling-matters/324410/religious-group-voting-2020-election.aspx

[4] https://www.thegospelcoalition.org/article/next-christians-election-2020-church-trump-biden/

[5] Alexander Hill, Just Business: Christian Ethics for the Marketplace, pp.14-15.

[6] https://chosen-sojourners.com/2020/11/03/大統領選挙:メディアが報じないクリスチャンの/

[7] https://www.thegospelcoalition.org/article/next-christians-election-2020-church-trump-biden/

[8] Richard Gibson, James Beitler III, Charitable Writing: Cultivating Virtue Through Our Words, pp.106-116.

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